ぎふきょうそブログ小屋

岐阜県教職員組合のブログです。

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【ほんりゅう】受認(我慢) 

 「戦争損害は国民が等しく受認(我慢)しなければならない」これは12月14日に東京地裁で行われた、1945年の東京大空襲の被災者や遺族131人が国の補償と謝罪を求めた訴訟での国側の見解である。▼この見解はどう解釈したらいいのだろうか。「国民のほぼすべてが何らかの戦争被害を負っていて、すべてを補償できない」という意味か、それとも「戦争にいたった原因は国民も共有しなくてはならない」という意味なのか。判決は「国家の主導の下に行われた戦争」と規定しつつも、「国民のほぼすべてが何らかの戦争被害を負っている」との理由で、救済は政治的判断に委ねるとした。▼戦争の被災者や遺族にとっては、国の見解もこの判決も救いにならない。一番今、この国に欠けているのは、国民に向けた誠意ある姿勢ではないか。被災者が求めているのは「戦争が忘れ去られようとしている今、子どもたちが平和に暮らせるように願う」ことであり、国がそれに対して誠意ある努力を示すことである。▼「受認(我慢)」という言葉で片付けられるなら、極端な(?)解釈では「今後も戦争があった場合、国民は受認しなくてはならない」となる。戦争ではないがどこかで同じ言葉を聞いた。「この県財政の厳しい中、県民も痛みを共有してもらう」▼判決は受認論に言及していない。(古山)
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